紙芝居

平良新助物語

 平良新助の人となりを多くの方々に知っていただくため、大里康永著「平良新助伝」をもとに紙芝居の脚本を私が書きました。絵は平成26年当時、今帰仁中学校に在籍していた美術部の皆さんが担当してくれました。紙芝居の朗読は、私が担当し、日ごろ私が使っている仲宗根言葉(フンジャークトゥバ)を使って読み上げます。


第1図 新助誕生と童時代 
                           明治9年 1876年9月4日生 

 なまから 百四十年ぴゃくよんじゅうにんめー 今帰仁なちじん 謝名んてぃ 

  ちぇー元気(げんき) (いきが)(わらび)が (まー)たん

沖縄の人(うちなーんちゅ) 海外移民ぬ 基礎(むとぅー) 作った(しこたぬ) 

  平良新助 うぬ(ちゅー)やさ

(ぷどぅー)や 小さい(ぐま)せーしが (ちぶる)や 良くて(ちりてぃ)

負ける(まきる)しや ぬーよーかん 嫌う(しかん) 新助や 謝名(じゃな)

一番(いちばん)ぬ ガキ大将(わらびがしら) なっとぅいたん

ちゃっさんぬ 仲間(ぐー) 連れて(そーてぃ) 野原(もー)や (うみ)

  駆け回って(ぱいまーてぃ) 居た(ういたん)

また (わらび)ぬ (じぶん)から 曲がったことが(よーがーくとぅーや) 

全く(てぃーちん) 嫌い(しかん) 弱いもの(よーばー) いじめる(みみじゅん)

(ちゅー)うりば (たる)でも(やてぃん) 立ち向かって(たちむかてぃ) 

行く(いちゅん) 肝心(ちむぐくる) 真っ直ぐ(まっとうーば) 

良い(いー)(くゎー)えったん 

👋

第2図 柱時計の分解 

        明治20年 (1887年)小学生のころ

新助が 天底(あみすく)尋常小学校 四年生に なったん あぬ(ぴー)(くとぅ) 

校長先生から 友達(どぅしびー) 三人(みっちゃい)とぅ 一緒に(まじゅん) 

  宿直室ぬ 留守番(やーばん) 頼まれた(たぬまったん)

宿直室にや 学校んてぃ ただ(てぃーち) (ぱやー) 時計(どぅけー) 

掛かっていた(かかとぅいたん)

カチカチ 動く(えーちゅる) 時計(とぅけい) 見ているうち(みっちゅるうちに) 

ちゃんな仕組(しかき) 動くのか(えーちゅが) 知りたく(わかりぶく)てぃ

うぬ時計 あきてぃ バラチみっちゃん

組み立てる(くみたてぃる) (とぅち) 困らない様に(くまらんぐとぅ) 

部品かてぃ 番号打ち(うち)がちな バラチいじゃしが いぇーちゅる

仕組(しかき) 分からん ままやたん 

バラちゃる 順番に 組み立てて(くみたてぃてぃ) 姿(しがた) (かたち)

  元(むとぅー)に 戻ったが(むどぅたしが) 動かない(えーかぬ) 時計に 

  なっとぅいたん

翌日(なーちゃー) 学校や 時計が 動かないため(えーかぬたみに) 授業ぬ

始まり(ぱじまい)とぅ 終わり(ぅわい) 合図(えーじ)ならぬ 

大騒動(うーそーどー)に なったん 

時計(とけい) 壊した(こんちゃる) シンカや すぐ 見つけ(みーちき) らったん 

ガキ大将(わらびがしら) 新助や 一週間 他の(ふかぬ) 三人(みっちゃい)

三日間 学校かい すーし 停止(とぅどぅみら) された(さったん)

👃

第3図 食料を担いで山道を通う 

       明治24年 1891年国頭高等小学校入学

天底尋常小学校 卒業しちゃん 新助や 名護(なぐ)に あいぬ 国頭(くんじゃん) 

高等小学校かてぃ 入った(いっちゃん)

  (くるま) 無い(ねーぬ) 時代(じでー) えってーとぅ 名護 下宿(みしふき)

  すーぬ くとうに しちゃん

  休み(ゆふみ)なりば 三里あいぬ うすまさぬ 山道 歩いて(あっち)

  帰った(けーたん)

  あっくぬ うっさーちん うとぅるせん 山道えったしが 新助や 家と(やー) 

  学校ぬ 行き帰り(いちむどぅい) (うむ) (ふみ) 味噌(みす)んでー 

  重い(うぶせん) 食べ物(けーむん) かたみてぃ 名護に 戻り(むどぅてぃ) 

  周囲(まーるー) 驚かせて(うどぅるかち) ういたん

  卒業すんまでぃぬ 三年間(さんにんかん) うぬ うすません 山道 

  行き帰り(いちゃいけーたい) しちゃる くとぅち 足腰(てぃーぴさー) 

  強くなって(ちゅーくなってぃ) ちゃんなぬ 苦しい(くちせーん) くとぅ 

  あってぃん 負けない(まきらん) 強い(ちゅーせーぬ) (くくる)とぅ (どぅ) 

  ()に 付けて(しきてぃ) いじゃん

👀

図4 ストライキ  

         明治27年 1894年沖縄尋常中学校入学


 優れた(すぐりた) 成績 国頭高等小学校 やり終えた(しーぅわーたん) 新助や 
 首里(すい) 在る(あいぬ) 沖縄(うちなー) 尋常中学校んかい 進んだ(あがたん)
 一生懸命(ぬちかじり) 勉強 励んで(はまてぃ) たん 2年生ぬ 学校中
揺れ(ゆん)がすぬ 大きな(だてんな) 事件(いっちぃん) 起きた(うきたん)

英語ぬ 授業 無くする(ねんなすん) でぃぬ  校長 考え(かんげー) 

出された(いじゃさったん) 

英語や 中学校から 上の(ぅわーびぬ) 学校に 進む(あがるん)たみにや 

必ず(ちゃーしちん) 学んで(ならてぃ) うらんねーならん 大切(てーしち) 

学問(がくむん) えったん

上の(ぅわーびぬ) 学校かてぃ 進む(あがるん) (みちー) 

無くする(ねーらんなすんでぃ) と言う(いうーぬ) 考え(かんげー) 

生徒(しーとうん)(ちゃー) とぅってぃ ちゃんちしちん 認め(みとぅみ)ららん

(くとぅ)えったん

 新助 初め(ぱじみ) 生徒(しーとぅ) 全員が(むるかいが) 

 立ち上がり(たちあがてぃ) 英語ぬ 勉強 続けさせる(ちぢきらすん) たみ 

 ストライキ 始めた(ぱじみたん) ストライキや 半年(ぱんにん)ぬん 

 続く(ちぢちゃる) 激しい(したたかな) 戦い ったしが 生徒ぬ 

 強い(ちゅーさる) 思い(うむい) 学校んかてぃ 伝わって(とぅーてぃ) 

 英語ぬ授業 続けて(ちぢきてぃ) 行く(いちゅん) くとぅが 決まった(きまたん)

図五 当山久三や杣山開墾反対運動との出会い 

             明治29年 1896年

 
新助や 学校ぬ 休みゆふみなりば やー帰るけーるぬ たんび 金武ちん
当山久三 いちゃてぃ 二人たいぬ中 深めてぃふかみてぃ いじゃん
またー 当山 頼って(たゆてぃ) 集まって(あちまってぃ)来る(すーぬ) 金武ぬ
青年達(にーせーたー)とん 友達(どぅしびー) なってぃ じゃん
ふぬ(じぶん) 村々(しまじま)ぬ 杣山 一部(いちぶ)人 (ちゅー) 
払い下げて(ぱれーさぎてぃ) 開墾(かいくん) しみるんでぃぬ  
企て(むくるみ) 出てきて(いじてぃちー) 沖縄ぬ あまふまんてぃ 
反対(はんたい)運動 起きた(うきたん)
当山達ーや うぬ反対運動ぬ 先頭(さち)立って(たっち) がーしちょーたん
杣山や 村人(しまんちゅ) むるかいが むんでぃち (むかーし)から (たむん)
とぅか (しみー) とぅったい 材木(ちゃいぎ) 切り出す(ちりいじゃ)ちゃい 
家畜(しかないむん) (むんだに) 取る場所(といじゃー) とぅしち 村人ぬ 
生活(くらし) 欠かせない(はちゅららん) 大切(てーしち) 場所(ばす)やたん
杣山 一部(いちぶ)ぬ (ちゅー) 払下げて(ぱれーさぎてぃ) 開墾(かいくん)
るぬ くとぅや 杣山から 受けていた(うきてぃうぃたん) 恩恵(うんじ) 
村人(しまんちゅ)から 奪い取る(くんぼーるん) くとぅになん
杣山ぬ 開墾や ぬーあてぃん 許して(ゆるちや) ならんで考えた(かんげーたん)
新助や 中学校 止めて(やみてぃ) 反対運 取り組んで(とぅいくんでぃ) いじゃん

👻

図6 今帰仁での戦い 

        明治30年 1897年

  

中学校 やみてぃ 今帰仁かてぃ 戻ってむどぅてぃちゃーぬ 新助や 間切まじり

総代そーでーかてぃ なったん

今帰仁うてぃん 村内(むらなか) 杣山が 開墾 さーりんでぃぬ (ぱなし) 

持ち上がった(むちあがたん)

ただーちん 少ない(いけらせん) 地畑(ぢーぱた) うりよーか 多く(うぽーく)

奪われたら(くんぼーられー) 生きては(いちちや) いからんでぃち 帰仁ぬ

村人(しまんちゅ) 立ち上がって(たちあがてぃ) 反対(はんたい) すんたみぬ 

集会(あちまい) 開いた(ぴらちゃん)

新助や  早速(すぐい) 村々(しまじま) 総代二十七名とぅ 一緒に(まじゅん) 

開墾反対運動ぬ 先頭(さち)に ちゃん

当山とぅ まんな あまふまうてぃ 反対運動取り組んできた(とぃいくんでぃちゃん)

新助ぬ 経験が うまうてぃ 生きた(いっちゃん)

新助ぬ 働きは(ぱたらちや) 素晴らしく(ちびらーさぬ) 村人(しまんちゅ) 

期待(ちむたるがき) (どぅ) 全部に(むるち) 集めて(あちみてぃ) 

戦った(たたかったん)

長く(ながーく) 激しい(したたかな) 戦いも(たたかいぬん) 最後は(しーばんや)

裁判に 持ち込み(むちくでぃ) 見事に(みぐとぅに) 勝利させた(かたちゃん)

新助達は(たーや) 杣山 今帰仁ぬ 村人ぬ むんとぅしち 

守り抜いた(まむいぬちゃん)

👳

図7 開墾反対運動から海外雄飛へ 

           明治33年 1900年

当山久三や 開墾反対運動かい 取り組み(とぅいくみ)がちな ウチナンチュが 

多く(うぽーく) ないしとぅ 食べ物が(けーむん) 不足(ぷすく)すーぬ 

くぅとぅんかい 強い(ちゅーせん)  想い(うむい) むっちゅいたん

うりや 琉球(りゅうきゅう) 王国(おうこく) 時代(じでー) 有名(なーふる)

三士官 蔡温が 狭い(いばせん) 沖縄うてぃ 食べ物(けーむん) 賄い(まかない)

しーゆーしや 三十万人分 しかねんでぃち ウチナンチュが 多く(うぽーく)

ないしとぅ 食べ物(けーむん) 不足 すーぬ事に(くとぅに) (むかーし)から

警告(いさみてぃ) ういたんくとぅ 分かとぅいたん

明治ぬ 半ば(なはら) ウチナンチュ (かじ) 四十万人 あまてぃ 

食べ物不足(けーむんぷすく) 大事(でーじ) 問答(むんどー)かてぃ 

なっとぅいたん

  当山や うぬ問答 片づける(うさみん) たみにや ウチナンチュ 海外 

  出して(いじゃーち) いかんねー ならんでぃ 考えて(かんげーてぃ) 

  海外移民ぬ 取り組み(とぅいくみ) 本気で(そーじーしちー) 始めた(ぱじみたん)

いちかや 自分も(どぅーなーぬん) 海外に出て(いじてぃ) 頑張って(がーしちー)

みーぶせん でぃぬ (いみー) 持って居た(むっちょーたん) 新助や 

次第に(しでーに) 海外移民ぬ 想い(うむい) 強く(ちゅーく)なってぃ いじゃん

移民ぬ 準備(しーじこい) すんたみにや 英語ぬ (ちかーら) (みー)

付けないと(ちきらんねー) ならんでぃ 考え(かんげー)たん 新助や 

一人で(ちゅいち)東京 (いぢー) 英語学校うてぃ 学ぶ(なれん) しちゃん

👬

図8 ハワイ移民団の実情調査でハワイに渡る                                明治34年 1901年

新助が 英語ぬ 勉強(びんちょー) 励んで(ぱまてぃ) うぃたん (じぶん) 

当山や 第1回 移民(いみん) (シンカ) 26(にじゅうろく)(にん) 

ハワイてぃ送り出して(うくいじゃーち) うぃたん

えっしが ハワイかい 到着後(しっちゃるあとぅ) 移民シンカ 様子(よーし) 

全く(てぃーちん) 伝わって(ちたわってぃ) ふらんたん 

うりや 移民シンカ 多く(うぽーく) 学校 あっちゅらんてーとぅ 手紙 

書けなかった(かちうーすらん) 為である(たみえったん)

郷里(しまー)んてぃや 大騒ぎ(うーそーどー) なってぃ いるんな (さたー) 

流れた(ながりたん) 

移民(いみん) 人達(ちゅーたー) ハワイうてぃ ひどくいじめられる(しんばー) 

さってぃ 大変(でーじ) 苦労(なんじ) しみらってぃ なー 生きては(いちちや)

居ない(うらん)ぱじー でぃぬ (ぱなーし) 流れた(ながりたん)

うぬよーな 状況えってーとぅ 第2回移民シンカ 

集めようとしても(あちみらーりしちん) 希望(ぬじゅみ)ん (ちゅー) 

誰も(たるん)うらん 移民(いみん) 送り出す(うくいじゃーすん) 仕事(わじゃー)

早々と(ペーベーとぅ) 行き(いち)詰まった(こんじたん)

困り(くまい) 果てた(ぱてぃたる) 当山から 東京に 居た(ういたぬ) 新助に 

手紙が 届いた(とぅどぅちゃん) 

  ハワイに 渡って(わたーてぃ) 移民シンカとぅか ハワイぬ 様子 

  調べて(しらびてぃ) とぅらさんがやー でぃぬ くとぅ えったん

海外に 出ていく(いじてぃいくん) たみぬ 準備(しーじこい) 

進めていた(あがちょーたる) 新助や 当山ぬ 頼み(たぬみ) 喜んで(うっさしち) 

引き受けて(うきてぃ) 明治34年 ハワイかてぃ 旅立って(たびだっち) いじゃん

👼

図9 ハワイ移民の実態

 ハワイに 着いたしっちゃん 新助 第1回移民シンカぬ 団長
  尋ねて(たじゅにてぃ) ハワイ 着いた 後の(あとぅぬ) 様子(よーし) 
  尋ねた(とぅーたん)

うりにゆれー 契約移民とぅしちー 働き(ぱたらち) 始めた(ぱじみたん) 

初めの(ぱじみぬ) (じぶん) 自由(じゆー)ぬんねーん あばいちりるぬ

生活(くらし) えったんとぅか 休み(ゆふい) ねーぬ 長い時間(ながーじかん)

(うしー)(まー)ぬ ぐとぅ 働かされ(ぱたらかさり) 

続けさせられた(ちぢきらさったん) でぃぬ くぅとぅ えったん

あんしが ハワイに 着いた(しっちゃん) 三か月後に(さんぐぅわちあとーに) 

  移民シンカに とぅってぃ 大きな(だてんな) 世がわり(ゆーがわい)が 

  起きた(うきたん)

1900年 ハワイが アメリカとぅ 一つ(てぃーち)に なったんたみに 

ハワイ政府とぅ 交わされていた(かわさとぅいたん) 契約移民制度でぃ 

いぅーしや 無くなった(ねんなったん)

牛馬ぬ 様に(ぐとぅ) ひどく扱われてた(あちくぅえーくるさってぃういたん) 

契約移民から だーまでぃん 自由に(じゆーに) 出かけ(いじてぃ) 

働く(ぱたらくん) くぅとぅ ないぬ 自由移民かい 変わった(かわたん)

新助が ハワイに 渡った(わたたん) 頃は(じぶんや) 第一回移民シンカ26名や

自由ぬ 身なってぃ ハワイぬ あまふまーとぅか アメリカ本国までぃん 

広がって(ぴるがってぃ) 行った(いじゃん) (あとぅ)えったん

新助や 移民シンカぬ 様子(よーし) ウチナー 居る(ういぬ) 当山 

知らせた(しらちゃん)

💫

図10 第2回移民団の出発

         明治36年1903年

第1回移民 シンカとぅ ハワイぬ 様子(よーし) 新助から 続けて(ちぢきてぃ)

伝わって(とぅーさってぃ) ちゃーぬくとぅ 移民かてぃぬ ウチナンチュぬ 

考え(かんげー) 大きく(まぎく) 変わって(かわてぃ)いじゃん

  移民しーねー 豊かに(ゆちくに) 暮らす(くらすん)くとぅ ないがすーら 

  分からんでぃ 思った(うみたん) ウチナンチュ 当山久三 信じる(しんじん) 

  ぐとぅー なってぃ 海外移民 希望(ぬじゅみ)すん 人が 増えて(がんでぃち) 

  集まって(あちまってぃ)ちゃん

うんな中 新助や「移民 進める(あがちょーる) 貴方(うんじゅ) ハワイぬ 

くとぅ 分からんでぃ いうしや ちゃーすが 是非(じひー) ハワイ みーが 

ちーとぅらせーでぃち ハワイ 来る(すーぬ)ぐとぅ 頼んだ(たぬだん) 

頼み(たぬみ) 受け止めた(うきとぅみたん) 当山 旅立ち(たびだち)(めー) 

「いざ行かん われらの家は 五大洲 誠一つの 金武世界石」

  の(いしじ) 建てて(たてぃてぃ) 金武ぬ青年達(にーせーたー) 40 

  連れ立って(うしちりてぃ) ハワイんかい 旅立って(たびだっち) いじゃん

 👷   

図11 第2回移民団の世話

ハワイに 着いた(しっちゃん) 当山や ハワイ様子 調査するため(しらびんたみ) 

 移民シンカ 世話は(とぅんじゃくや) 新助 預けた(あじきたん)

新助や 移民シンカが 働いている(ぱたらちょーる) ハワイ島ホノカワ耕地んかい 

出て(いじてぃ) 行った(いじゃん) 

此処は(うまや) 雨も(あみん) ふらん 飲み水に(ぬみみじん) 不足(ぷすく)すん 

(とぅくま) えってーとぅ 下痢(くすぴりー)んでーぬ 病気(げーち) 

広がった(ぴるがったん) 

なーうっぴ 生活(くらし) しーやっせん とぅくま 求めて(むとぅみてぃ) 

ビホヌア耕地 移ったが(むちなったしが) 反対に ふまや(あみ) 

多くて(うぽーさぬ) 脚気(しちむち)かかるん 人たち(ちゅーたー) 

出てきた(いじてぃちゃん)

ハワイに 着いてあと(しっちあとぅ) 悪天候(やなーぅわーしち)とぅ 病気(げーち)

んかい 煩わされながら(わじゃらさりがちなー) 頑張ってきた(がーしちちゃん) 

金武青年達(にーせーた)ぬん いい加減(てーげー) 弱ってきた(よーまってぃちゃん) 

うぬままちや 移民シンカ 倒れると(とーりんでぃ) 考えた(かんげーたん) 新助や

移民シンカ ハワイ島から (ぷに) 乗せて(ぬしてぃ) 第1回移民シンカ 

働いていた(ぱたらちょーたる) オアフ島ぬ エワ耕地んかい 移す(むちなすん)

くとぅ 決めた(きみたん)

オアフ島んかい 渡る(わたるん) たみにや 船賃(ぷなちん)

集めることと(あちみんくとぅとぅ) 税金(じぇーきん) 支払(ぱれー)んでー 

様々な(さまじゃまな) 難儀仕事(なんじわじゃー)が あいたん 

新助や 持ち前の(むちめーぬ) 頭の(ちぶるぬ) 良さと(ゆたさとぅ) 

身の軽さで(どぅーがっさーち) 船賃と(ぷなちんとぅ) 税金支払い(じぇいきんばれー) 

証文(すーむん) 掻き集めて(かちあてぃみてぃ) 移民ぬ シンカ エワ耕地んかい 

移す(むちなすん)くとぅ 成功した(でぃかちゃん)

エワ耕地や 良い天気(じょーぅわーしち) 続いて(ちぢち) 食べ物も(けーむん) 

豊富(ゆーふく)えってーとぅ 病気も(げーちん) 回復し(むちのーち) 金武ぬ 

青年達(にーせーたー) 持ち前の(むちめーぬ) (ちかーら) 出して(いじゃち) 

働らいて(ぱたらち) 生活も(くらしん) 豊か(ゆーふく) なってぃ いじゃん

👸

図12 いよいよアメリカ本国へ   

明治37年 1904年

第2回移民ぬシンカが 落ち着くのを(うちしくし) 見届けて(みとぅどぅきてぃ)

ハワイ移民や  大丈夫(だいじょうぶ)でぃ 考えた(かんげーたん) 新助や 

アメリカ本国かてぃ 渡り(わたてぃ) 頑張って(がーしち) みーぶせんでぃぬ 

自分の(どぅーなーぬ) (いみ) 果たす(しますん) (とぅち) ちゃんでぃ

感じた(うびたん)

 明治37年 新助や ハワイから サンフランシスコんかい 渡った(わたたん)

 皿洗い(さらあれー)から 始めて(ぱじみてぃ) コック バーテンで 

色々な(だんだんぬ) 仕事(わじゃー) しーがち あまふま 移って(うちてぃ) 

行く(いちゅん) うちに ニューメキシコ州んかい 着いた(しっちゃん)

朝の(ひてぃみてぃぬ) 4時から 夜の(ゆるぬ) 9時までぃ 働き(ぱたらち) 

続ける(ちぢきん) 生活(くらし) 2(ににん)続けて(ちぢきてぃ) お金(じん) 

貯めた(たみたん) 

貯めた(たみたん) お金(じんち) 広い(ぴるせん) 土地(ぢー) 買って(こーてぃ) 

(やー) 建てた(たてぃたん) 

土地(ぢー) 持った事で(むっちゃるくぅとぅち) 好きな(しちな) 時に(とぅちに) 

だーかてぃん 行ける(いかりん) 身分(ぶん) 手に(てぃーに) 入れた(いんたん) 

新助や 沖縄(うちなー)んかい 行こうと(いかーり) 思えば(うみば) 何時(いち) 

 やてぃん 行ける(いかりん) 身分(ぶん) (てぃー)に いんたん

大正八年 メキシコとぅぬ (くに)(さけー)近い(ちかせん) ブロレー市んかい

移り(うちてぃ) レストラン 始めた(ぱじみたん) 

店は(まちやーや) うみちか 繁盛(はんじょー)しちー 大勢の(うーにんじゅぬ) 

奉公人(いんじゃくぁ) 雇う(やとぅるん) までぃ なっとぅいたん 

平素の(まどぅぬ) 生活(くらし)んかい 使う(ちけーぬ) (しなー)とぅか 

食べ物(けーむん) 売って(うてぃ) 幅広く(ぱばぴるく) 商売を(あちねー) 

始めた(ぱじみたん)

図13 海外協会設立に奔走 

              大正13年 

第2回 ハワイ移民シンカが 落ち着いた(うちしちゃん) たみに 沖縄(うちなー) 

うてぃぬ 移民(いみん) (にちー) うみちか 高まり(たかまってぃ) 移民 

希望する(ぬじゅみぬ) 人たちが(ちゅーたーが) 急に(あったに) 

増えてきた(がちまってぃちゃん)

明治40年 ウチナーや 日本ぬ中でも(なかうてぃん) 指折り(うぃびうい) 

移民県かてぃ なっとぅいたん

那覇の(なーふぁぬ) 町や(まちや) 移民ぬ 世話(とぅんじゃく)すん 

商売人(あちねーさー) 溢れて(あんびてぃ) 移民ぬ 奪い合い(くんぼーえい) 

激しく(したたかー) なってぃちゃん    

中には(なかにや) 嘘をついて(ゆくしむぬいい) しち 移民 騙す(しかすん) 

悪い(やな) 商売人(あちねーさー) ちゃっさん 現れ(あらわってぃ) 

大きな(まぎー) 騒動(そうどう)に なっとぅいたん

うぬよーな 商売人(あちねーさー)から 移民守り(まむてぃ) 移民ぬ 

手助け(てぃだしき) すんたみぬ 海外協会 立ち上げる(たちあぎるん) 

必要が(いりゆー) あんでぃち 叫ばれる(あびらりる) 様に(ぐてん) なったん

北米日本人会とぅか 沖縄県人会でぃぬ 役員 勤めていた(ちとぅみてぃうたる) 

新助や 大正13年 海外協会 たちあぎるんたみに ウチナーんかい 

戻って(むどぅてぃ)ちゃん

寝る(にんびる) 暇も(まどぅん) ねーんあたい 役人(くぁんにん)とぅか 政治家 

実業家んでー 色々(だんだん) 人たち(ちゅーたー) 尋ねて(たじにてぃ) 

海外協会ぬ 必要(いりゆー) 説得して(いーまぎてぃ) いじゃん 

新助ぬ うぬ 働きが(ぱたらちが) (みー) 結んで(むすでぃ) 県議会うてぃ 

海外協会設立総会 開かす(ぴらかすん) くとぅ 成功した(でぃかちゃん)

海外協会ぬ 立ち上げ(たちあぎ) ゆてぃ 安心して(うみなーくしちー) 移民 

すーぬくとぅ 出来る(でぃきるん)ぐとぅ なってぃ 海外移民や 更に(ゆくい) 

広がって(ぴるがってぃ) いじゃん

👪

図14 ロサンゼルスでの生活と捕虜収容所 

昭和15年 1940年

 教育に (にん)あいぬ 新助や 子供たちに(くゎーたーに) 良い(いー)教育 

 受けさせる(うきさすん) 為に(たみに) ブロレー市ぬ (まちやー) 

 売り払い(うりぱれい) カルフォルニア州うてぃ 一番(いちばん) 大きい(まぎせん)

 学問の都(がくむんぬみやく) ロサンゼルスんかい 移って(うちーてぃ) ちゃん 

 新助や うまに ホテル建てて(たてぃてぃ) 店も(まちやーぬん)始めた(ぱぢみたん)

 ロサンゼルスんかい 移った(うちたる) その翌年(うぬなーえい) 太平洋戦争が 

始まって(ぱじまってぃ) 1942年 アリゾナ州 ヒラ砂漠ぬ 捕虜収容所かてぃ 

家族と(やーにんじゅとぅ) 一緒に(まじゅん) 引き入れられた(ひちくみらったん) 

焼けるような(やきるんぐとぅ) 暑さの 厳しい(あちさぬ ちゅーせん) 砂漠 

生活は(くらしや) 辛く苦しく(くちさぬ) 言葉では(くとぅばちや) 

言いにくい(いーぐるせん) あたい 厳しかったが(ちゅーせーたしが) 

家族と(やーにんぢゅとぅ) 一緒に(まじゅん) 歯を食いしばって(ぱーくいちゃーち)

堪えた(にじたん)

1945年 (いくさ)が 終わった(ぅわーたん) 為に(たみに) ロサンゼルスに 

帰る(けーるぬ) (くとぅ) 許された(ぬがらさったん)

ロサンゼルスに 戻った(むどぅたん) 新助や 今度も(くんどぅん)

持ち前の(むちめーぬ) 粘りと(ちるがきとぅ) 頑張りで(がーち) 再び(またー) 

ホテル 建てた(たてぃたん) 

うぬ ニューヨークホテルや ロサンゼルス やてぃん 指折りの(ういびういぬ) 

ホテルんかい なってぃ いじゃん

💥

図15 ひやみかち節を詠む

   昭和28年 1953年

昭和28年 軍人とぅしち 沖縄うちなーんかい 渡ってわたてぃ   いたん 息子いきぐぁんぐぁーから 沖縄や 戦いいくさ 為にたみに 思ったよりうみしよーか はーら 荒れすさんだ場所あらばー 

なっとぅんでぃ 聞いた(しちゃん)新助や ホテル 長男(ちゃくし)んかい 譲り(ゆじてぃ) 五十二年(ごじゅうににん) 及ぶ(うゆびん) 移民とぅしちぬ 生活(くらし) 終えて(とぅじみてぃ) 沖縄に 帰ってきた(けーてぃちゃん)

沖縄に 戻り(むどぅてぃ) 荒れ果てた(ありぱてぃたん) 生まれ郷里(うまりじま) 立った(たっちゃん) 新助や 50余り(あまい)(めー) 当山久三が 思い(うみ)焦がれて(くがりてぃ)いた(うぃたん) 

何も(ぬーん) 恐れない(うじらん) なんにでも(ぬーにやてぃん) 真っ直ぐ(まっとぅーば) 立ち向かって(たちむかてぃ)行く(いちゅん) 沖縄人(うちなんちゅ) 姿(しがた) 思い出して(うびいじゃち)

うぃたん 

あんちしち 荒れ果てた(ありぱてぃたん) 生まれ(うまり)郷土(じま) 立ち直し(たちのーし)

命がけで(ぬちちりてぃ) 立ち向かって(たちむかてぃ) いちゅん 沖縄人 励ます(ちがきらすん) 意味(いみ) 込めて(くみてぃ) 読んだ(ゆだん) (うた)

 「(なな)転び(くるび) 転でぃ(くるでぃ) ひやみかち 起きて(うきてぃ) 

わした くぬ 沖縄 世界(しけ)に 知らさ」ぬ ヒヤミカチ節 えん

 👲

訂正:ひやみかち節は、ロサンゼルスで詠んだ歌だという

   ことが紙芝居作成後に判明したので訂正します。

図十六 新助の老後

昭和二九年 新助や 越地(ふいじ)んかい (やー) 建てた(たてぃたん) 

家ぬ 周囲(まーる)にや 後々(あとぅあとぅ) 年寄の(とぅしゆいぬ) 憩う場所(ゆふみんばす)とぅしちぬ公園に なしぶせんでぃ

考えてかんげーてぃ 果物の木ないむんぬきーとぅか 草花植えたぱなぎーういたん 

家ぬ周囲でまーるーうてぃー 取れたとぅりたん クニブ とぅか むむー 小学校んかい 送ってうくてぃ 喜ばれるゆるくばりぬ 

事もくとぅんあいたん

八十(はちじゅう)余って(あまてぃ)から 乙羽山ぬ 開墾と(かいくんとぅ) 観光施設 作る(しこるん) 為に(たみに) 村有地

三十年さんじゅうねん契約むすびーち 貸してからち とぅらせーでぃち 申し出たくちかきたん 

八十あまてぃぬ 年寄ぬ くちはきーえってーとぅ 新助ぬ 思いは(うむいや) 伝わらず(とぅーらぬ) 

取り下げられた(とぅいさぎらったん

自分は(どぅーなーや) なんま 年寄あらんでぃち 九十あまてぃから 東南アジアんかい 

旅行にたびーに 出たいじたん 

大航海時代(だいこうかいじでー)に ウチナンチュが 頑張った(がーはきたん) (とぅくる) 見たい(みーぶせん) でぃぬ くとう 

えたん

旅行(たびー)から けーてぃちゃぬ (あとぅ)ぬん 若い(わかせん) (ちゅー)たーに 東南アジアかてぃ 

移民すーし ましどぅーでぃ いゅんあたい 海外雄飛んかい かきるん 

思いはうむいや 少しもうっぴん 衰えてはうとぅりてぃや うらんたん

👳

あぁ こわしちゃった
 
 平良新助物語は、より多くの皆さんに平良新助を知ってもらおうと、その生い立ちやウチナーンチュの海外移民に果たした役割、北米での活躍など詳しく紹介しました。しかし、話が長くなり子供達の興味・関心を引き付け理解を深めるには無理があると感じました。
 そこで、「平良新助物語」に入る前の導入として、天底尋常小学校時代に時計を分解して壊した話を脚本し直してみました。それが、この「あぁ こわしちゃった」です。幼稚園や小学校などで活用していただければ幸いです。絵は今帰仁中学校出身の藤原奈穂さんに描いてもらいました。
 
表紙

「こらっ カマタ また おまえか」

「だって 校長先生 これがジラーとサンダー いじめるからだよ」

  「えーひゃ カマタ またー やー れんなー」

  「あんせー 校長先生 うりが ジラーとぅ サンダー しっぱ すーとぅ 

  れんどぅ」

「やりすぎだよ シゲルは 鼻から血を出しているじゃないか」

「しょうがない 今日は罰として職員室の留守番をしなさい」

  「しーぢゅーさ えっさ シゲルや ぱなーから ちー いぢゃちゅいしが」

  「しかたねん くーや ばちーとぅしちー 職員室ぬ やーばん せー」

 👄

「えー いやだ 夜の学校は お化けが出るんだろう 一人では嫌だ」

「校長先生 僕たちも一緒に 留守番 します」とジラーとサンダーが言った

  三人は 宿直室で泊まることになった

  「えー ならん ゆるーぬ がっこうや キジムナーが いぢてぃすーしがー 

  わん ちゅいしや ならん」

「校長先生 わったーぬん まんな やーばん さーびん」

  でぃ ジラーとぅ サンダーが いちゃん

   みっちゃいや 宿直室かてぃ とぅまーるぬ くとぅに なったん

 ✋

「へー これが柱時計か」サンダーが言った。「カチ カチ動いてきちんと

時間を知らせるなんて凄いね」と ジラーが言った。

「どんな仕組みで動くんだろう」カマタが目を輝かして言った。

「そうだ 時計の中を開けて見てみよう」とカマタが言うと

「壊したら校長先生にまた叱られるよ」と ジラーとサンダーは止めた。

「へー ふりが ぱやーどぅけい なー」 サンダーが いちゃん

「カチカチ えーち まちげーらんぐとぅ じかん しらすしや 

ちびらせんやー」でぃ ジラーが いちゃん

「ちゃんなーぬ しかきち えーちゅがやー」でぃ カマタが 

みー ぴからち いちゃん

「えっさー とぅけーぬ なかー あきてぃ みっちーまー」でぃ 

カマタが いちゃーとぅ

「こんしーねー 校長先生かてぃ またー ぬらりんどー」でぃち 

ジラーとぅサンダーや とぅみたん 

👀


 「大丈夫バラした順番に部品に番号を打てば戻すのは簡単だ 

 ジラー僕がばらした部品を渡すから紙に順番を書いてサンダーに渡すんだ 

 サンダーお前はその紙を部品に貼って順番よく並べてくれ」

  ぬーんあらんさ ばらちゃぬ 順番ち 部品かい 番号うちいば 

 むどぅすしや 簡単えっさ 

 ジラー わんが ばらちゃぬ 部品わたすとぅ はびに 順番かっち

 サンダーかてぃ わたせー 

 サンダー やーや うぬかびん 部品かい はてぃ 順番に ならびれー

 👧

動く仕組みが知りたい三人は胸をときめかせながら時計をバラしていった 

  えーくぬ しかき わかりぶせぬ みっちゃいや にー とんとん 

  しみがちー とぅけー ばらちいぢゃん

  👃  

「カマタ 動く仕組み分かったかー」とジラーが聞いた

「全然 分からん」とカマタは言った

気抜けした三人は しばらく モノも 言わずに ひっくり返っていた

気を取り直したカマタは バラした順番に部品を組み立てていった

  「カマタ えーくぬしかき わかたんなー」

  「てぃーちん わからぬ」でぃ カマタや いちゃん

  ちるーぬぎたぬ みっちゃいや むぬん いやんぐとぅ ぴっけーりとぅたん

  きー むちのーちゃん カマタやばらちゃぬ順番ち 部品 

  くみたてぃてぃ ぃぢゃん

 👄

すっかり元の姿かたちに戻った時計を見て ジラーとサンダーは大喜び

しかし カマタは泣きそうになっていた 

時計が動かないのだ

   むとぅぬ しがたかたちに むどぅたぬとぅけー みっち ジラーとぅ

   サンダーや ちぇー うっさ 

   あんしが カマタや なきぎさー なっとぅいたん 

   とぅけーが えーかんばー


 翌日 学校は朝から大騒ぎ 

 時計が動かないため授業の始めと終わりの合図ができないのだ

 なーちゃー 学校や ひてぃみてぃからうーそーどー 

 とぅけーが えーかぬたみ 授業ぬ ぱじみとぅ わいぬ えーじ

 ならんばー

 👅

「誰が時計を壊した」校長先生は顔を真っ赤にして言った

「時計をバラしてみようと僕が二人を誘いました」カマタは言った

「正直に話したことは褒めてあげよう。しかし、時計を壊して

みんなに迷惑をかけた罰は受けないといけない。

カマタ君は一週間ジラーとサンダーは三日間家でしっかり反省しなさい」

「たーが とぅけーこんちゃが」 校長先生や ちらー まっかーらーしちー 

いちゃん

 「とぅけーばらちみらー でぃ わんが たい かてぃ いやーびたん」

  カマタがいちゃん

 「えーぬぐとぅ ぱなちゃぬ くとうや ふみてぃ とぅらさー 

 あんしが とぅけー こんち むーるかてぃ 迷惑 かきたぬばちや 

 うきらんねー ならん 

 カマタ やーや一 1週間 ジラーとぅサンダーや 三日間 やーにんてぃ 

 しかーとぅ ちむー あらたみれー  

 👆


ウチナーを飛び出し 未知なる世界に 活躍の場を求めて行った 

平良新助の 子供の頃の お話でした。

   うちなー とぅびん いぢーてぃ なま しらーらっとぅらん 

  しけー かい がーすーぬばー むとぅみてぃ いぢゃん

  平良新助ぬ わらびーぬ じぶんぬ 

   ぱなし えーびたん  

 👦

  今帰仁にも多くの民話があります。この読本では2つ紹介します。民話を通し今帰仁の文化に触れるとともに、今帰仁ふとぅーばの習得にも役立てましょう。


1. 越地に伝わる民話 首出石(くビーンぢゃいシー)    

                 話者:喜屋武加代子

むかしの炬港には、イルカが寄ってきたそうです。

 むかーしぬ てーなーとぅ にや ぴっとぅ が ゆてぃすーたんでぃ 

ある年の事、たくさんのイルカが寄ってきたので、村中から大勢の人が集まり、イルカ狩りをしました。

あるとぅしー ぬ くとぅー ちゃっさげーら ぬ ぴっとぅ が ゆてぃちぇーとぅ

むらーぢゅー ちゃら ちゃっさん ぬ ちゅんちゃー が はちまってぃちー

ぴっとぅ がい ぱぢみたん


 見物人もたくさん集まってきました。見物人の中には、祝女(ノロ)の子供もいました。

 みーむんさー ぬん がぢまってぃちゃん

 みーむんさー ぬ なはー ねー のろ ぬ くぁー ぬん ういたん

イルカ狩りが終わり、人々は帰っていきました。

ぴっとぅ がい が わーてぃ ちゅぬちゃー や むるー けーてぃ いぢゃん

 しかし、祝女の子供は、いつまでたっても帰ってきませんでした。亡くなってしまったのです。

えーしが のろ ぬ くぁー や ひちーまでぃ たっちん けーてぃ ふんなたん

しがた ちぇーてんばー

 怒った祝女は、「もう二度と炬港にイルカは寄ってくるな」と大声で叫び、石を二つ

 投げました

 わぢーてーぬ のろ や 「なー またー とぅ てーなーとぅ かてぃ ぴっとぅ や

たちゆてぃちー や ならんどー」 でぃ ちゃっぴーげーら あびやーち 

いしー たーち うんなぎたん


 その石が首出石になりました。それ以来、イルカが寄ることはありませんでした。

 ふぬ いしー が くびんぢゃいしー ち なったん

うんちゃーら や なましきてぃ ぴっとぅ が ゆてぃーすーぬ 

くとぅー や ねーんなたん


👿

2.    古宇利に伝わる民話 ≪人類発祥伝説  

                          話者:渡名喜一江



 太古 この島に 男女 二人の 人が 棲んでいた。

うーむかーし うぬ しまー ねー いきがー とぅ いなーぐー とぅ 

たい が くらーちゅたん



二人は 裸で 恥ずる事もなく 毎日 天から落ちる餅を食べ 何事もなく 養われて

その残りをも打ち捨て 暮らしていたが 

 たい や まるぱだっかー やしが ぱぢかせー ぬ くとぅや わーらぬ 

 ぴーびー てぃんとぅ ちゃら うてぃてぃすーぬ むーちー かーてぃ
 ぬーんさーんぐとぅ しかーならってぃ ふてぃてぃすーぬ のほいむん や 
 ヘーひてぃてぃ くらちょーたーしが 

 いつの間にか 知恵が付いてその残りを貯え 又 蒲葵の 葉を採りて 

 裳を作り 恥を 匿すようになった。

  ひちーぬ まーねーげーら たくまー いぢてぃ のほいむん たみーたい 
  またー ふよーぬ ぱー ち めーぢゃー しこーてぃ ぱぢー 
  はくーすぬ ぐとぅ なったん

 その時から 天からの 餅は 落ちてこなくなり 二人は 自ら 苦しみて 食物を

 索めねばならなくなった。

 うんちゃーら てぃんとぅ ちゃら むーちー や ふてぃてぃ ふーぬぐとぅ

 なってぃ たい や どぅなー ち あわーりぬだんだん しちー けーむん 

 とぅめらんねー ならん ぐとぅ なったん


  そこで 二人は悲しみて 「たうたう前さり たうたう前 大餅ヤト餅 ウタビめしよれ
  赤螺アカダル 捨て うしやげやべら」と御願したが

 うまーねーてぃ たい や ちむ むちけーてぃ 「とーとーめー さり とーとーめー 

 うふむーちー やとむーち うたびみそーれー あかだる ぷるーてぃ ふさぎみそーら」 

 でぃち うにげー しちゃーしが 

  
 
  餅は とうとう 天から 落ちて こなくなった と 伝えられている。

 むーちー や なー てぃんとぅ ちゃら ふてぃてぃ すーぬ くとぅ 

 や ねんなったん でぃ いいちたわとぅん


👬


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